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高松高等裁判所 昭和53年(う)105号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を無期懲役に処する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人徳弘寿男作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する検察官の答弁は、検事島岡寛三作成名義の答弁書に記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

一  本件訴訟の経過

本件は、被告人が所携の棒様鉄片で、被害者七名に対し、殺意をもつて順次その頭部を殴打し、そのうち五名を殺害し、二名に重傷を負わせたという公訴事実により、昭和四四年一月二四日高知地方裁判所に公訴の提起がなされ、同裁判所が昭和四五年四月二四日言渡しの判決によつて、右公訴事実を認め、かつ弁護人主張の心神喪失または心神耗弱を採用しないで、被告人に対し死刑を宣告し、これに対して被告人から控訴の申立があり、高松高等裁判所が昭和五〇年四月三〇日言渡しの判決によつて、被告人が犯人ではないという事実誤認の主張(控訴趣意第一点)、及び被告人の責任能力について事実誤認と法令適用の誤りがあるとの主張(同第二点)を、いずれも理由がないとして控訴を棄却し、これに対し被告人から上告の申立があり、最高裁判所が昭和五三年三月二四日言渡しの判決によつて、弁護人の上告趣意は刑訴法四〇五条の上告理由にあたらないが、原判決には被告人の責任能力に関する事実誤認の疑いがあるとして、刑訴法四一一条三号により原判決を破棄し、本件を高松高等裁判所に差し戻し、再度、控訴審で審理することになつたものである。

そして最高裁判所が破棄の理由とした判断は、原判決が被告人に完全な責任能力があるとした点に、事実誤認があるとしたものであるが、その判決の説示によると、「被告人の病歴、犯行態様にみられる奇異な行動及び犯行以後の病状などを総合考察すると、被告人は本件犯行時に精神分裂病の影響により、行為の是非善悪を弁識する能力又はその弁識に従つて行動する能力が著しく減退していたとの疑いを抱かざるをえない。

ところが、原判決は、本件犯行が被告人の精神分裂病の寛解期になされたことのほか、犯行の動機の存在、右犯行が病的体験と直接のつながりをもたず周到な準備のもとに計画的に行われたこと及び犯行後の証拠隠滅工作を含む一連の行動を重視し、市丸鑑定を裏付けとして、被告人の精神状態の著しい欠陥、障害はなかつたものと認定している。

そうすると、原判決は、被告人の限定責任能力を認めなかつた点において判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認の疑いがあり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる」としている。

二  控訴趣意について

ところで、差し戻し後の当審における審理の結果によつても、被告人が犯人ではないという事実誤認の主張(控訴趣意第一点)について、その理由のないことは差し戻し前の控訴審判決が適切に説示するとおりであり、当裁判所の判断も右と同様である(なお、原判決は、被害者上甲富美の死亡時間を「午前九時五分ごろ」としているが、「午後九時五分ごろ」の誤りである)。被告人の責任能力に関する主張(控訴趣意第二点)については、前記最高裁判所の破棄理由とした判断に従い、次に検討する。

差し戻し後の当審においては、二度にわたつて被告人の精神鑑定をしたのであるが、鑑定人逸見武光作成の鑑定書(同人に対する差し戻し後の当審の証人尋問調書を含む。以下同じ)によれば、(1)被告人は精神分裂病を発症している、病型は緊張型と呼ばれる症状を示すが、著しい人格欠陥におち入る定型的のものではない、現在人格欠陥を露呈しているが著しいとはいえない、(2)本件犯行当時、治療中の寛解状態にあつて、社会生活が可能であり、病状が増悪していたとは認められないという意見であり(なお鑑定書には、本件犯行当時、病状が増悪していた疑いがあると記載されているが、証人尋問調書で意見が訂正された)、その病状の程度は、本件犯行当時、被告人の社会に対する適応能力がやや低下していたことは否定できないものの、通常の社会生活が可能であり、一応の判断能力を備えていたとされている。

また鑑定人武村信義作成の鑑定書(同人に対する差し戻し後の当審の証人尋問調書を含む。以下同じ)によれば、「本件犯行時における被告人の精神状態は、緊張病の一旦寛解した状態であつたが、本件犯行の動機が妄想の基盤の上に形成された了解不能なものであること、犯行が衝動的に着手され、その経過中、精神活動停止と精神運動興奮が現われたと推測され、犯行後無感動状態であつたとみられること、逮捕後の取調べ中に供述の無意味な変動が認められたことからみて、本件犯行には分裂病の強い影響の存在を認めるべきであり、従つて行為の不法性を認識し、この認識に従つて意思を統禦することは、まつたく不可能であつたと認められる」という意見である。しかしながら、この心神喪失の意見は、分裂病者は原則として責任無能力であるとする精神医学上の学説の立場からのものであつて、必ずしも裁判実務上承認された考え方とはいえないし、そして同鑑定人の診るところでも当時の病状としては、被告人は良好な寛解状態にあつたとされるとともに、本件は直接幻覚、幻聴、妄想などの作為体験に基く犯行ではないとされておるのであり、かつ証拠によると、その当時、被告人は工員として会社に勤務し、普通に社会生活を営んでいたのであり、診断の結果、必要とされる薬は引続き服用しており、被告人と接触した親族や知人らも、その行動に格別異常な様子を感じなかつたというのであるから、本件犯行態様や動機などに奇異な面のあることを考慮しても、心神喪失とする結論は採用できない。

しかしながら、これらの鑑定書及び記録により認められる被告人の当時の病状や、犯行態様などを総合考察すると、被告人は、本件犯行時に精神分裂病の影響により、行為の是非善悪を弁識する能力又はその弁識に従つて行動する能力が著しく減退した状態にあつたものというべきであり、従つて、原判決は、心神喪失の主張を排斥した点において相当であるが、心神耗弱の主張を排斥した点において、判決に影響を及ぼすべき事実誤認があり破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、当裁判所において直ちに判決する。

原判決が認定した事実の末尾に、「なお、被告人は、本件犯行時に、精神分裂病のため心神耗弱の状態にあつたものである。」旨を付加し(従つて、心神喪失の主張は採用しない)、その掲げる証拠のほかに、心神耗弱の点について前記鑑定人逸見武光の鑑定書を付加し、その掲げる法令のすべて(ただし、上甲富美に対する殺人罪について、所定刑中死刑を選択し、かつ刑法四六条一項本文の適用を除き、同条二項本文を適用する。)、及び心神耗弱について刑法三九条二項、六八条一号(無期懲役刑を選択する)、一審以来のこれまでの訴訟費用の全部について刑訴法一八一条一項但書を適用して、主文のとおり判決する。

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